MacでNTSF
先日、母のためにEee PC 1015PXを購入しました。今までのDellがだいぶくたびれて来ていて、どうせメールと検索とちょっとしたお買い物しかしないのだから、思い切ってネットブックにしてみました。まあ、3年くらいはそこそこ使えるんじゃないの? という感じです。DVDのドライブがありませんが、DVDはこれまたちょっと古い iMac (たぶんこれ http://support.apple.com/kb/SP35?viewlocale=ja_JP の20インチ)で観れば良いじゃん、という話になっています。このiMacは普段は弟が使っていて、普通に現役です。
とりあえず、メール等の設定とお気に入りの移植だけしました。データは今後は外付けのハードディスクを使用します。2Tの買いましたよ。HD-LEM2.0TU2です。MacBookProと1015PXとiMacとで使うなら、ネットワーク対応のものを買って、自宅内でクラウドのように使えれば良かったのだけれども、高いんだもの。無理。地道に毎回繋げば良いという結論に達しました。パソコンだっていちいち電源入れるんだもの、携帯やら何やらも使うならばネットワーク対応でないとイライラすると思いますが。
HD-LEM2.0TU2は見事にMacでは添付ソフトウェアがまったく使えないのですが、必要無いから別に良い。ただ、Win7ではNTFSが良いんだけれども、Macからは読み出ししか出来ないという問題が出てきました。
しかし、Mac OS X Snow Leopardではディフォルトではオフになっている機能をオンにすることでNTSFのHDDも読み書き可能だと分かりました。そこで、Snow Leopard 標準機能で、NTFSフォーマットのボリュームを読み書き可能にする方法を参考に、私のMacBookProをいじくって設定しました。
参考にした記事の、元の記事Guide: Enable native NTFS Read/Write in Snow Leopard : MacRumors Forumsから以下に引用しておきます。それと、私があれ? となったあたりをちょこちょこ。そのうち私がまた似たようなことをやろうとして同じところで同じように引っかかるのが予想出来るので。
I am sure many of you heard that Snow Leopard was supposed to have native read/write for NTFS partitions. Apple supported NTFS R/W in older SL builds but I guess decided to not to go with it for some reason, however support is still present.
For this, you need to modify your /etc/fstab file to mount NTFS partitions for read and write.First, uninstall NTFS-3G/Paragon if installed.
Open Terminal.app (/Applications/Utilities/Terminal)
Type "diskutil info /Volumes/volume_name" and copy the Volume UUID (bunch of numbers).
Backup /etc/fstab if you have it, shouldn't be there in a default install.
Type "sudo nano /etc/fstab".
Type in "UUID=paste_the_uuid_here none ntfs rw" or "LABEL=volume_name none ntfs rw" (if you don't have UUID for the disk).
Repeat for other NTFS partitions.
Save the file (ctrl-x then y) and restart your system.After reboot, NTFS partitions should natively have read and write support.
http://forums.macrumors.com/showthread.php?t=785376
This works in both 32 and 64-bit kernels. Support is quite good and fast, it even recognizes file attributes such as hidden files.
NTFS-3GもParagonもそもそもインストールしていないからここはスルー。で、ターミナルを久々に開いたのだけど、ターミナルはどこだっけと情けないことを思いました。アプリケーションのユーティリティの中です。はい。書いてあるじゃんね。volume_nameはそのまんまではなく、適宜自分のMacに合わせて名前を入力。それを、内蔵HDDの名前でやったらちゃんとVolume UUIDが出て来たのだけれども、外付けのHDDでやったらVolume UUIDが出て来なくて、ここでうわーうわーうわーとなりました。
しかしながら、ここは無いなら無いで良いみたいです。これねー、絶対書き方親切じゃないですよ。無い場合もあるよ、無くても平気だしって書いておいてくれれば良いのに。要するに、このUUIDは、読み書き可能にしたいボリュームの、名前というか識別番号なわけで、この作業はボリュームを指定して、このボリュームは読み書き可能にしたいんだよ! というのを主張するのが目的ですから、番号だろうと自分で付けた名前だろうと、ボリュームを特定出来ればそれで構わないわけです。っていうのを理解するまで時間がかかった。馬鹿だから。
それよりも、ディフォルトでは「/etc/fstab」というファイルが存在しないので、作らなければいけないところの、パスワードの入力で躓きました。ターミナルに、「sudo nano /etc/fstab」と入力すると、パスワードの入力が求められます。パスワードは、管理者としてのパスワードです。このパスワードは、入力してもカーソルがちらとも動きません。私はターミナルはずいぶん触っていなかったので、パスワードは入力しても表示されない(****とかにもならない)のをすっかり忘れていて、おおいに慌てました。え、キーボード壊れた? とか。ますます馬鹿です。
で、3回間違えると「sudo nano /etc/fstab」を入力する前の状態に戻されます。はあ。そんでダメ元でコピペしてみたらちゃんとコピペできたの、「sudo nano /etc/fstab」って。なんだよもう、真面目にtypeしてたぞ……本当に馬鹿だ……
パスワードは表示されない! です。パスワードがきちんと認識されると画面が変わるので、「UUID=最初に調べたVolume UUIDの値 半角スペース none ntfs rw」と入力。私の場合はVolume UUID が無かったので、「LABEL=HDDに付けた名前 半角スペース none ntfs rw」としました。この、rwってのが、readとwriteなんだろうなあ。unixやってると普通のことのようですが、ちっともさっぱりです。control + xで保存、そして再起動。
ドキドキで「情報を見る」で確認したところ、読み書き可能になっていました。ふぅ、と大満足したので、データの移行はまだ全然やっていません。
解決していない問題は古いほうのiMacですが、これはHDDを3つに分けて、1つは新しいEee PC 1015PXの起動ディスクやらバックアップだのの専用にし、2つめはNTFSでフォーマットしてMacと私の古いDellからのデータ、それから母の古いDellからのデータ置き場、残りはFAT32でフォーマットしてiMac用のスペースにすることで凌ごうと思います。
ん? 最初からMac用は全部FAT32で良いじゃねーかって? Boot CampしてもXPなんだしって? まあそれはそうなんだけど、時代はNTFSだから良いのよ。でも、今回試した方法は、実はMacOS X Lion では使えないらしい。良く知らないけど。Mac OS X LionからNTFSでフォーマットされた外付けHDDに無料で書き込めるようにする方法を参照するとどうやらそんな感じ。
Lionにする予定はまったくありませんが、結局そのうちドライバを入れるということになるのではないかと思います。
Winのパソコンを新しくしたことによる大きな懸念は、我が家にあるカードリーダが、Win7 sterterでちゃんと働いてくれるかどうかです。これはまだ試していません。年内には試して、確定申告に備えなければ。Boot CampはXPなので、Win7で出来なければBoot CampのXP頼みです。結局一度挫折したBoot Campなのかあああああああ……
サンポタの秋の園遊会 カントリーパーティー
11月23日(水)は東京都町田市の、南町田駅近く、ごめん鶴間って大和市だと思ってたわ、なところにあるサンポタマージュで行われたカントリーパーティーに参加してきました。父の取引先のひと……というか単なる友達のようになっている、ウェスタンショップのオーナーに、売り子として呼ばれたのです。またか。去年と今年の茅ヶ崎ジャンボリーに引き続き、売り子です。しかしカントリーやウェスタンの知識はほぼありません。銃は好きですが、私は自分でスポーツとして射撃をするのが好きなのであって、ガンマンに憧れたりはしていません。シェーンはカッコいいけどな。
しかし、売り子がいかにもな格好をしていないのは不自然かと、今回も目立つベルトとジーンズジャケット、馬蹄模様のキャップで行ってきました。まあそれら全部、その知人のお店で買ったものですから妥当でしょう。
さて、今回は食べ放題ドリンク別で4000円でしたが、参加者は多く150名ほど、8台ほど止められる駐車場を全て開放し、入口近くにウェスタンショップを2店、小物販売のスペースをひとつ設置して、店内の普段客席があり食事が出来る場所は機材を入れてバンドが演奏する場所にしていました。ドリンク販売のところと、他にも少々「東日本大震災募金」の缶があって、おつりをちょいと入れる、そんな感じでした。
午前中はわりと皆さん食べるのに夢中なのですが、腹がふくれてからはダンス! お酒も入ってご機嫌でダンスが始まりました。少しテーブルを片付けて、駐車場の3分の1くらいをダンスのスペースにしましたが、まだ狭い。バンド演奏をしているところは普段はテーブルが設置されている客席ですから、建物の構造上、そのバンドの前を横切らないとトイレに行けません。その板張りになっている普段は客席の場所で夫婦と思しき男女が、けっこう大きな動きで踊っている、それを皆が眺めて手拍子をしている前を、テニスの試合のときネット付近のボールを猛ダッシュで拾いにいく係のひとみたいな感じで、でも当然遠慮がちにトイレに行くしかありませんでした。この、いたたまれなさ!
少し寒かったですが天気が良く、茅ヶ崎ジャンボリーはご近所のひとが気軽に集まってきた感じだったのに対し、今回は本気でカントリー好きなひとしかいないので、なんというかやりたい放題。ダンスが始まってからは、食べるひとも減り、店員の手も空き、ダンスのレクチャーがバンドの皆さんから始まって、エプロン姿の従業員も一緒になって踊っていました。ダンスが始まるとお店は当然ヒマなので、私はだらだら眺めていました。茅ヶ崎でも思ったけれど、みんな楽しそうで眺めているだけでも幸せな気分になりますな。音楽も楽しいし体も動かしてみんなご機嫌です。ただ、かなりの音量で、お酒も入ってそれなりに大騒ぎをしている住宅街のパンレストラン、これはご近所から苦情が来ないのか……などと考えながら。そんな私の頭上を飛行機が爆音で通過していきました。
夕方16時ころには無事終了となった今回のイベント、カントリー初心者はあまりいないためか、星条旗デザインの小物などよりもっと本格的なものが売れました。やっぱ客層で持っていく商品を変えないとダメよね。
フランスのカフェを目指したはずのパンレストランでカントリーとはいかに、という点については、オーナーやシェフの話を聞いたところ、料理とパンはフランスだけど心はアメリカン、だそうです。建物も従業員もとても良い感じのお店なので、グランベリーモール|GRANDBERRY MALLにお買い物へお出かけの際は中で食事するのも良いけれど、外に出てみても良いのよ?
そして次回のサンポタイベントは、R16カントリーパーティーだそうです。16歳以下ダメってちょっとどんないかがわしいパーティーよと勝手に妄想して慌てましたが、R16とは国道16号のことです。そりゃそうだ。詳細は、サンポタマージュ公式サイトで随時更新ということですが、いただいた「緊急告知」の内容をとりあえず以下に引用します。
米海兵隊による"お友達作戦"感謝祭&東日本大震災復興チャリティーイベント
第1回『R16カントリーパーティー』開催決定!!
R16号線沿 相模原市渕野辺公演隣接運動場
2012年3月25日(日)
WordPerssに手を出してみた(い)
知人のサイトを更新したり手直ししたり果ては移転まで、あれこれやっているのがいい加減大変になってきたので、ブログの更新は出来るんだったらブログ形式のサイトを作るからそれで次回以降は自分で更新してください! と話をつけました。トップページには新着情報と、経営しているお店の営業日案内カレンダーを載せたいらしい。そして携帯で更新出来るとなお嬉しいとのこと。
Movable Typeはあっさり挫折した私ですが、このSerene Bachではそこまでのサイト構成は難しい。というわけで、流行のWord Pressに手を出してみたいわけです。私が借りているこのサーバの契約プランは、PHPとMySQLが使えませんが、知人が引っ越し先として契約したサーバは両方とも使えますし、容量も問題無いし、ちゃんと独自ドメインも取っているしで条件が良いのです。
そんなこんなで数時間かけて、WordPressをインストールし、必要と思われるプラグインをぽいぽいとインストールしてなんとなく設定までしてみました。時間があったら、どれをどうやってどうなったか、色々書いてみたいと思います。どうせ、知人に「使い方」として投稿の仕方や設定のいじり方を説明したページを作らないといけないのだから手間はたぶん同じでしょう。
彼はひとりじゃなかった
会社からの帰り、ズールーのZとゴルフのG、日本人は聞き分けにくいからついつい「ゼット」なんじゃないのという話から、無線の話になりまして、30分ばかりずっと同僚と無線の話をしていました。その同僚は父親が庭に小さい鉄塔をたてちゃうくらいにアマチュア無線をやっていて、子供のころから身近だったそうです。私はたいして無線のことは知らず、高校生のときに無線部の活動を毎日見ていたので、なんとなく様子を知っているというくらいです。あとは、遠出したときに立派なアンテナをつけている車がサービスエリアで待ち合わせの連絡をしている現場を見かけたり、子供のころに行ったスキー場でゴツいリュックのおじさんたちがわいわいやってるとか、その程度です。25年ほど前は、スキー場で無線を持っているひとがちらほらいて、私がひとりでぷらぷら上級者コースへ向かっていると「そっちの山の裏側は吹雪いてるってよ、嬢ちゃん」なんて、ギーギーガーガーノイズだらけの無線を片手に声をかけてくるおじさんがいたりしました。あれは私が美少女だったからでしょうか。
冗談はさておき、25年前は私にとってハムというものは頭が良くて機械に強いひとがやっているちょっとなんかカッコいい感じでしたが、それが高校生の頃には、無線なんて暗い男の子の趣味だと思うようになっていました。いやちょっとは興味あったのですが、機械をいじってにまにま笑っている男の子の集団に混ざれる程の度胸も無く、毎日ちらちらと眺めているだけでした。部室、射撃部と無線部は同じところを使っていたので。
こっちが真面目に銃を構えて静かに集中しているすぐ側で、数人で真冬でも元気よく窓を開けて「JA1A……」とやってました。先輩たちが卒業してから部員はたったひとりになってしまい、それでも彼は毎日のように部室に来てギーギーガーガーやってました。相手が見つからないのか30分もしないですぐ帰ってしまうときもあれば、機械をあれこれアンテナをあれこれいじくりまわしているだけのときもあるし、数時間楽しそうに何かブツブツ言っているかと思えば、何があったのか急に少し大きな声を出してブツっと切ってしまうときもありました。
その頃の私には、知らない誰かに呼びかけてお喋りすることの何が面白いのか全然分からず、いつも一人でいる彼は、あれで楽しいのかなあ、先輩たちもいないのに、後輩も入って来ないのに、よくやるなあ、毎日毎日、と思っていました。無線の機械は代々使っているものなので古くて大きくて、彼はきっと彼なりに多少は気を遣っていたのだと思いますが、とにかくノイズが酷くて、彼が喋っている声は良く届き私がJA1以下略を覚えてしまう程でした。相手の話している内容が分かるほどに鮮明には聞こえず、ほんとにいったい何をしているのか、ちっともさっぱり理解出来ずにいました。
でも今日、同僚と話をして、そうだねラグチューってのは2chとかtwitterみたいなものなのよね。今なら分かるわ。いや、彼が無線を楽しんでいたその本当のところ、何が楽しかったのか、目的は何だったのか、私は何も理解出来ていませんけれど、そう、知らない誰かを探してとりとめの無い話をするというのは、うさんくさい暗い趣味じゃない。なんというか世界が広がる楽しさだ。彼はひとりで何かをしていたわけじゃなくて、ちゃんと相手がいて一緒に過ごしていた。彼は全然、ひとりじゃなかった。
平日の夕方はいったいどんなひとたちが無線で誰かを探していたんだろう。付き合いのある他の高校の無線部と話すことがあるというのは先輩から聞いたことがあるけれど。ガラス瓶に手紙を入れて海に流すような、風船にハガキを付けて飛ばすような、世界中で誰かが誰かを探して両手を開いている。実にロマンチックかつ堅実で現実的な遠い遠いノイズの中に聞こえる誰かの声、それはどんなに聞き取りにくくても美しい音楽よりも心地よく彼の耳に届いていたのでしょう。腹立たしげにヘッドフォンを放り投げたりもしてましたが。
電源を落として上着を着て鞄を持って、その様子が目に入ると我々は銃を下ろして彼が通れるようにする、彼は会釈なんだかなんなんだか分からん程度にちらとこちらを見るような見ないような無愛想な態度でさっと横切って部屋から出て行く、あの姿をいつもひとりでなんだか寂しいもんだと思っていた私の身勝手さが恥ずかしい。彼はいつも誰かと一緒だったのにね。分かった気になっているこの状態も恥ずかしいけど。
余談ですが、真面目に部活中の射撃部と無線部の様子を見た生徒会の友達に「狙撃兵と通信兵」と言われました。
ツンギレてみた
べつに世間が大騒ぎするほどのことだと思ってないんだからねッ
母校その1で本格的な情報処理の講義が、情報関係以外の学科でも始まった頃、我が母校は英断なのか信者が牛耳っていたのか単に安かったのか、なんとNeXTStepを導入しました。笑っちゃうのは、学生が自由に使えるマシンはNeXTSTEPなのに、各研究室はたいていWinを使っていたのでデータその他にまったく互換性が無かったことです。
私が第1次大学生時代の大学3年生の時、つまり1999年はNeXT社がApple社に買収された(1996年)後で、私が当時付き合っていた男性が就職活動のとき「大学ではどんなOSを使っていましたか?」という質問をされてNeXTワークステーションであると答えると、どよめいたそうです。そんなマニアなものを、という感じで。技術関係の部署以外のひとには分かってもらえなかったと彼は苦笑していました。彼は私がMacを勧めてもWinのほうが良いと譲らず、そこらへんで袂を分かつことになったわけではありませんが、コンピュータに関する意見は合いませんでした。音楽性の違いもそんなに無かったんですがね。
見事に無愛想な「コマンド、またはファイル名が違います」に、この素っ気無さが良いんだ! などと倒錯的な愛情をMS-DOSに注いでいた中学から高校時代、父がMacintoshを購入してきました。印刷関連の仕事に使うためです。漢字talk7だったと思います。マウスを使うインターフェイスは確かに分かりやすかったのですが、あの無骨さこそがコンピュータじゃないかこんなの安っぽくてダメよと決め付けて、父とは決裂しました。しばらくして取引先とのやり取りにMacだと不便ということで、父が購入して来たNECのPC98シリーズはWin3.1でした。なんとびっくり、ハードディスクが内蔵されていました。フロッピードライブが1つしかないの。どういうこと。
起動して私は驚きました。黒い画面ではないからです。使ってみればMac的なインターフェイスは便利でしょうがないくらい便利でした。話には聞いていたけど革命ってこれのことかと思ったものです。ごめん、Mac馬鹿にしていた……反省した私は、そのWin3.1をものすごく可愛がって使いましたが、同時にMacも使いました。そして、Win3.1が時代遅れのマシンになり、雑誌で新しいOSを見ましたが、何よこれじゃMacと同じじゃないの、だったらMacで良いわよ馬鹿ぁ! とWin機とは手を切りしばらくMacに親しんでいました。
そして大学の情報処理室でNeXTSTEPに出会い、まーたジョブズか! と思ったわけです。学科の研究室では案の定Winで、98でした。私は高校生のときに触ったWin3.1のイメージしかありませんでしたから、その進歩には驚きました。2000年問題とかいろいろありましたけれど、久しぶりのWinに四苦八苦しつつ、なんかもうほんとWinはMac風味になっちまったなあの無骨さはどうしたんだよ畜生、と寂しく感じたものです。Mac的なものとは一線を画しているのがMSじゃねーのかと。
今でも思うけどね、Winが進化するたびに。Macの後追いじゃねーかと。
母校その1の情報処理室のマシンは、2000年には青白G3になりました。やはり信者がいたんでしょうか。安かったんだろうなあ……たぶん。
iPhoneもiPodもiMovieもiTunesも私は全然使わないし、こんなん誰が使うんだとiなんたらの発表の度に思ってきました。しかしながらあのウザイ無駄にかっこつけたプレゼンがもう無いのかと思うと、なんだよ畜生おめーがたいしたことねーしょーもないことを大げさに言うから面白かったんじゃねーか馬鹿ぁ! という気持ちになります。また何かやらかしてるよこのおっさんは大丈夫か、One more thing ってコロンボの真似するのもいい加減にしろとツッコミながら見ているのが私は面白かったし、あれこれ繰り出してくるものの中から気に入ったものだけ使えればそれで良かったし、スーパーマリオで思いがけないところに思いがけないものがあるのを見つけたときみたいな楽しみを味わうのが好きだった。爆弾マークは「お気の毒ですが冒険の書1は消えてしまいました」的な無責任さを感じてふざけんなこの野郎と思っていたし、OS Xを初めて見たときはそんな視覚的なエフェクトに凝るよりも処理を速くしてくれたほうが100万倍嬉しいのにわかってねーなおっさんと心底思ってました。今でもせっかくの高性能CPUを無駄に使うんじゃねーよと思ってます。
あっさり辞めたのも、Appleが倒産したって知らん顔だろうな違う会社を作ることはあるかもしれんが、と思いつつ、辞めるなんてほんとに体調悪いんだなまさか引退した先代佐渡ヶ獄親方みたいにもしやと思っていたら……思っていたら。くそう、最近のタブレットなんかちょっと興味なくもないけどグッとこないぞつまらんぞ(なんか別なの考えて発表してよ)! きいてんのかスティーブ!
信者じゃないです。いやほんとに。使い勝手が良いものが好きなだけよ。これ書いているのはMacBookProですけど。彼の死を確認したのも。
秋場所やっと観た
土曜はだいたい頭痛で寝てて、昨日は山梨へ葡萄を買いに行き帰りに車酔いしてそれっきり、今日も昼まで寝まくっていたのに同僚から「初回に4点取られたけど大逆転」とカープメールをもらったので起きてちょっと観戦、その後相撲という流れで、やっと秋場所をまともに観ることが出来ました。母が24日の国技館へ向けて、魁皇弁当はもう無いからどうしよう、十両でも高見盛弁当あるのかしらとウキウキです。
毎年のことですが、行った葡萄園は奥屋敷葡萄園です。買ってきたのは、アウトレットのゴルビーと、甲州とビーナスです。ゴルビーは旬が終わりなのでちょっとカビっぽい感じがしますが、甘くて美味しい。私の彼氏はゴルバチョフだと大喜びでした。
日馬富士は巧い。場所前の色々だと、今日の日馬富士-鶴竜はかなり盛り上がるはずの一番なのですが、お互いに4勝4敗ではまったく期待が持てない取組でした。しかしながら、立ち会いのぶちかまし、まわしの取り方、足の掛け方、体重の寄せ方、お互いに技量を感じる良い相撲でした。あっさりと、日馬富士が勝ったようにみえますがね。
白鵬もそうですが、当たった後の対処と言うか、自分の形へすぐ持って行く、体を少し離すとか上手を取るとかもろ差しになるとか頭をつけるとか、その動きが日馬富士は本当に早くていい。ただ、そこが上手くいかないと大抵の場合に体力負けしてわりと簡単に土俵を割ってしまうのが残念です。白鵬は体が大きいぶん、一気に寄られたりしないのですが、日馬富士は軽いので吊られたりするとおしまいですね。でも今日は相手も大きくない鶴竜だからか、なんというか美しい取組でした。
白鵬も万全ですね。当たってすぐまわしを引いて素早い寄り。お手本通りという感じです。
あと、豊真将も良い相撲でした。彼は立ち居振る舞い全部が文句無しなので、それだけにもっと勝ってくれよと思います。豊真将はちょっと真面目すぎると言うか律儀すぎるというか、柔らかい雰囲気が無いのですが、魁皇の引退後いかにも「おすもうさん」的なのは豊真将かなーと思います。
それにしても、日本人大関の候補として人気と期待が半端無いはずの稀勢の里は、今日も相変わらず悪役のような顔立ちでした。もっと強気で攻めて欲しいなあ。今日の把瑠都戦は、土俵際まで追いつめておきながら、把瑠都は腰が立っていたのにどうにも攻めきれず、逆に寄り切られてしまいました。正当派の相撲が好きなひとには嫌がられるかもしれませんが、私は土俵際まで追いつめたら、足をかけたり出し投げっぽく揺さぶったりして土俵を割らせるのもありだと思っているので、もう少しずるい相撲でも良いと思うのです。
そうそう、魁皇の引退相撲は来年、平成24年5月27日です。お忘れなく! 特に私!
まだ事務局も立ち上がってないとのことですが、魁皇の公式サイトも出来たことですし、要チェックですよ。うふふ。
琴ノ若の引退相撲のときと同じく、正面枡席を狙っております。うふふ。
ハリー・ポッターと死の秘宝part2
7月18日(月)に、映画「ハリー・ポッターと死の秘宝part2」を観ました。同行した友人と帰りに一服した際、感想は言っちゃったしtwitterでも少々発言したので、改めて語ることはあんまり無いような気もするのですが、感想というかツッコミを少々述べてみます。これから観るひとの参考にはたぶんなりませんが、自分のための記録として。
以前、自分メモとわざわざ書くけどほんとに自分メモなら公開しない、自意識過剰だというような発言をtwitterで見かけ、いやいやそういう言い訳みたいなことをやっているうちに本当に自分用メモになっていくものだよと思いました。他人が見ることを意識すると多少は分かりやすく書きますから後で自分が見たときにもちゃんと分かりますし。私の場合、手帳にメモした単語の羅列なんてまったく役に立ちません。それに、ブログに書けば、どこに書いたか分からなくなるという問題が解消されます。これも大事です。というわけで公開自分用メモというのはわりとメリットがあると私は考えています。この記事もそのうち、ハリポタの最終っていつ映画やってたっけ? というときにでも私の役に立つことでしょう。
さて、せっかくですから基本情報から。映画『ハリー・ポッターと死の秘法』は7月16日(土)から公開されており、監督はデヴィッド・イェーツで総制作費$250,000,000、3Dと2Dの両方です。我が家から最寄(自転車5分)のシネコンは2ヶ所あり、吹き替えの3D、字幕の3D、字幕の2Dの3種類の公開と、3Dのみ字幕と吹き替えの2種類の公開と、立場が分かれました。これはなかなか興味深い点です。個人的には他のシネコンも調べてどこがどんな勝負に出たのか眺めてみたい。
さて、2部に分けただけあって、あちこちを省くことは無くそれなりにきちんと分かり易くストーリーが述べられていました。原作の(つーか翻訳の)表現だと分かりにくいところも映像にするとあんな感じかと思うくらいにはちゃんと描かれています。どこらへんが私が原作で分かりにくかったかというのは具体的にあんまり出て来ないのですが、学校にみんなで攻めて来たところなんかは、なるほどねーと思ったところが色々ありました。
そうそう、あの学校に死喰い人がたくさん攻めて来たシーン、崖の上で勢揃いしているのがイナバ物置のCMみたいで緊張が切れます。せめてこう、「天と地と」みたいな感じであって欲しかったけれど。
セブルスの純愛っぷりが、どうにもストーカーっぽかったのがちょっと不満です。もっとキモイ少年だったら、ますますストーカーだったじゃないですか、あれじゃ。ちょっと可愛い少年だから、純愛っぽいですけど。いやもう、ほんと、セブルスはリリーに人生狂わされてるものねえ。思わせぶりな女、という受け取り方も出来ると思うの。
全体としては、原作でヴォルデモートとは何かというのが説明されたときに私が思った、「なんだお前が黒幕か」が、あんまりしっかりちゃんとそういう感じでなかったので拍子抜けしました。
どう考えても、ダンブルドアがトムに対する教育を失敗したのが、あの大騒ぎの原因じゃん。ダンブルドア本人から、ホグワーツの生徒だったが、まっとうな大人にしてやれなかったという主旨の悔恨が、正体が判明したころにありました。それで私は、おいおい校長が黒幕かよ、自分の失敗の尻拭いを知り合いの子供に押し付けてるだけかこのじじい、と思ったわけです。
だから原作を読んでいても、いつ、ふざけんなこのくそじじい全部てめえのせいじゃねえかよおおおおおと、JOJOもびっくりな感じになるとずっと予測していて、そうではなかったから驚きました。セブルスが校長に対していまいち素直に従う気になれない感じだったのも、リリーが死んだのはダンブルドアのせいだと少なからず思っていたからではないでしょうか。
トムは寂しかっただけではないか、褒めて欲しかっただけではないかと思うのですが、才能のある子を伸ばしてやれなかった、しかも不良少年→チンピラどころか悪の親玉にまでしてしまったというのは、ホグワーツの教育方針というか直接関わったダンブルドアのやり方に、大いに問題があったのではないかと思わざるを得ません。もちろん、学級崩壊だのなんだのの原因を担当教員の責任だけと思わないし、学校全体として取り組むべきですが、なんかほんとちゃんとやったの? とたいへん疑問です。その後どんだけ改良があったのか知りませんが、セブルスの様子や、ドラコのことを考えても、あんまり変わってないのでは? イギリスのああいう全寮制の学校で、寮ごとの対抗心を煽るのが一般的だとしたら、あんなものなのかもしれないですけど。
それにしたって、ドラコが段々とヴォルデモート陣営に引っ張られて行くのを分かっていて駒として使っている雰囲気のあるダンブルドアは、お前ほんとに教育者かよとしか。
内容はともかく、映画でこうなっててすげー! みたいなのは特になかったですね。
ただ、最後の最後まで、マルフォイ両親が本当に息子を大事に大事にしているというのは良く伝わりました。息子を連れて去って行く後ろ姿は良かった。乗る馬を間違えた中間管理職っぽかったルシウスも、家族第一主義のぶれない父親として面目を保ったと言えるでしょう。ハリーは自分ばっかりが苦労していて、みたいな態度で、ドラコを嫌ってたのはドラコが両親にこれでもかと可愛がられているからではないかとも思います。
で、最後の、子供たちをホグワーツ特急に乗せるシーン、さりげなくドラコもしっかりパパになってましたけれど、相手は誰よ!
同情した同僚が正露丸くれました
実は、というほどのことでもありませんが、昨日は母が昼食用に作ってくれたおにぎりが腐っていまして、あんまり疑問を持たずに食べた私は、いつ腹が下るんだろうかと憂鬱な午後を過ごしておりました。今日になっても全然平気なので、ああ良かった。
五穀米かなんかの焼きおにぎりだったんですがね、焼きおにぎりにしては柔らかいなあとは思いました。そんでやたら粘々してました。しかしながら私は、母がまた水加減を間違えて炊いたのだろう、どうやら豆っぽいものが入っているからこの粘々は納豆だろうと想像して、美味しくないなあと思いながら食べました。納豆は好きではないのです。食べてから30分くらいしたら妹から「今日のご飯、さっき家でお弁当の残りを食べようと思ったら傷んでいたから気をつけて」というメールが来て、そうかあれは腐っていたからあの状態だったのねと納得そしてガッカリ。
10時の休憩で早弁した私がいけないのでしょうか。おにぎり以外に持ってきたものは無く、社食の注文締め切り時刻を過ぎていたので、当然昼飯は抜き、20時まで残業とかほんとにもう。妹は「またか」と呆れ気味でした。私の、傷んだお弁当食べちゃった事件は年に一度あるかないかの頻度で発生しております。
不味かったでしょ? ごめんね、と母に言われましたが、母には決して言うわけにはいきませんが、時折母が作ってしまう世にも不味い料理の数々に比べると、わりと普通な部類だったというのが私の正直な感想です。
今まで一番不味かった母の手料理は、カレーです。テレビの料理番組でやっていたのをうろ覚えで試してみたというそのカレーは、ワインを入れたものでした。少し前に開けてちょっと酸っぱくなっちゃった赤ワインを入れたのが最初の失敗で、それがかなり酷い味だったために誤魔化そうと牛乳を入れたら酸っぱくて苦くてミルク臭い変な味になったそうです。カレーとしては薄味になってしまったために醤油をさらに追加して整えてみたところ、ちっともさっぱり整わず、自分で味見するもの躊躇する味になってしまった、というのが母の説明でした。
あれはさすがに一皿食べられず半分近く残しましたが……あのカレーと比べたら腐ったおにぎりはよほどまともでしたので、また妙なものを作ったんだなとしか思いませんでした。砂糖と塩を間違えて味付けした油揚げ+普通のお酢ではなく間違えてバルサミコ酢かなんかで作った酢飯=お稲荷さん、も二度とはごめんだと思ったけど、休憩を挟みながら4つくらいは食べましたから、やっぱ最低ラインとして私が認識しているのはあのカレーです。
母の手料理では、ちょくちょく途方も無い失敗作や実に奇抜な創作料理が提供されるため、味や見た目がとんでもない状態でも安全性には問題が無いという全面的な信頼があり、不味くてもつい食べてしまいます。
親が子供のために作ったものですよ。疑う理由が無いじゃないですか。
それにしても糸をひくほど腐ったご飯って相当だよな。よく食ったもんだ。
というわけで、傷んでいるから不味いのか、しくじってるから不味いのか、という区別を食育ではちゃんと教えたほうが将来に渡り本人のためなんじゃないかと思います。
私、区別つかないので。
傷んだものを食べても腹を下したことが無いので実害は今のところありませんが。だからって今後が保証されているわけないし。
ところで、急に酷い味の料理が出てきたら痴呆を疑えという話がありますが、我が母の場合ここ30年ずっと妙な料理を作り続けているので、そういう指針が当てになりません。もし本当に母がボケてきた場合に、すぐには気付けないのかもしれないと思うと自分の食中毒よりももっとずっと不安です。
右の手の甲
お互い用事で出かけていた場所が意外と近かったので、特に用は無いものの顔を見ておこうかと、連絡しあって彼と会った。乗る電車を携帯のメールで連絡していたため、自然と待ち合わせが駅前になった。もうすっかり秋のはずだったが、少し日が傾いているのに暑いので、涼を取ろうと駅前の大きな百貨店に入った。思った通り、冷房がしっかり効いている。百貨店の入口周辺は改装工事をしたばかりで新しく明るい雰囲気だったが、百貨店の1階と言えば化粧品売り場、あの臭いが苦手な私は少々うんざりした。
案の定、彼は化粧品売り場を冷やかし始めた。あれこれ覗きながら、多くの女性たちの間を無言かつ無表情で通り抜けて行く。どうやら新製品のキャンペーンらしい、あるブランドの前で彼は足を止めた。ほとんど息を止めたまま後ろをついていた私は、何が彼の気を惹いたのか考えながらその新製品を観察した。小さなケースに入ったクリームだ。きっとやたら分厚いケースで、中身は30グラムくらいだろう。ぼったくりだよなあ、と思った。
「新製品の美白クリームです、お試しになりませんか」
販売員が愛想の良い微笑みを浮かべながら話しかけてきた。他に手近な客がいないとは言え、私のように見るからにスッピンの、メイクにはまるで興味の無さそうな客にも声をかけなくてはならないのだから大変な職業だなあと思いながらも、彼がこのクリームに興味を持っているのは明らかだったので、売り場の悪臭をなんとかしろと思いながらも微笑んで頷いた。
「こちらは新製品でして、これまで以上に保湿と美白の効果がありまして……」
説明をしながら私の右手の甲にクリームを塗りたくっていく。両手で包み込まれるような仕草で、他人に触られるのは苦手なんだよ勘弁してくれと心の中で叫ぶ。たぶんちょっと鳥肌がたっていただろうが、声が震えないよう努力しながら一応質問を挟んでみたりした。もっとも、「これまで以上」などと言われても、これまでのことなんか何も知らないので恐らく見当外れの質問だっただろう。彼はまったく他人のような態度で私の後ろに立っていた。まあ、他人には違いない。
「奥様、肌が白くてお奇麗ですね」
販売員が彼にも話しかける。その台詞は、私よりもはるかに色の白い彼に言うものなのだろうか。彼は無言で、頷きもしない。いつも通りの愛想の無さだが、自分から来たのにその態度はいただけないなと私は思う。
「ご主人様も奥様が奇麗になるのは嬉しいですよね」
おいおい、私は「肌が白くてお奇麗」だったんじゃないのか。なのに「奇麗になる」のか? 今もうすでに奇麗なのに? 良く分からんなあと混乱する私の耳元に彼がささやいた。
「このひと、メイドなんだね」
彼にとって「ご主人様」という呼称は常にメイドが発するもののようだ。一度もメイド喫茶に行ったことが無いくせに良く言う、いや私が知らないだけで彼はもしかしたら常連なのかもしれない。ティーンエイジャーかもしれないメイドに「ご主人様」と呼ばれて、彼はいつも通り無表情なのか、それとも思いっきり脂下がるのか、見てみたい。尾行して。そう思ったらおかしく、ふふふと笑いあう私と彼を見て販売員が「お気に召していただけましたか?」と言った。
「きみもやってもらえば?」という私の提案と「ご主人様もお試しになりますか?」という販売員の提案に彼は首を横に振った。商品の説明が続き、渡された小さなパンフレットを見てたまげた。予想通り、内容量は30グラム、お値段は私が通っているスポーツクラブに支払っている会費1か月分よりも高かった。やっぱり百貨店は私のような底辺庶民の来るところではないなあと嘆息してしまう。今日、私も彼もジーンズだけど入店して良かったのだろうか。靴もかなり薄汚れたナイキランニングと阪神タイガースグッズみたいな色使いのニューバランスだ。
わーお、と彼を見るとなんだか満足げだったので、彼の用は済んだのだろうと見当をつけ、「いやあ貧乏人には向きませんなあ、お値段が」と正直に告げて頭を下げた。
その後は、ヨドバシカメラやビックカメラをうろつき、ガンプラを眺めまくり、新しいゲームを調査したり、プリンタやデジカメをいじってみたり。その3時間半ほど、彼はもうそのクリームの話題を出さなかったが、時折私の右手の甲を触っていた。販売員の言葉通り、保湿能力は半端無いようで、左手と比べると明らかにしっとりすべすべしていた。私は素直に感心した。
腹が減ったから帰ろうと再び駅前まで来た。そろそろ閉店が近い百貨店の、入口近くの大きなはめ殺し窓から様子をうかがうと、先ほどとは違う販売員が、同じようにいかにも品の良さそうなマダムに商品説明をしているところだった。車の免許更新がギリギリだった視力の彼が、目を細めてそれを観察している。私は彼の隣に並び、窓枠に背を預けた。
「きみが入社以来8年開発に関わってたクリームだろう、あれ。何度か学会に行ってたやつ。違うか?」
彼は答えなかったが、目元が満足そうに笑っていた。少しだけ首を傾けている。急な改修工事で、私が休日出勤して工作図面をひいた窓枠に寄りかかって。
めぐり
神奈川県伊勢原市にある石田牧場に併設されているジェラート屋「めぐり」に行ってきました。
いつ行ったっけ。覚えてないや。ええと、6月の半ばです。日曜だったかな、ラジオでカープの中継を聴いたような聴かないような。とにかく、ヒマそうな彼氏が車で我が家まで来まして、私はちょうど新しい除湿器を買うにあたりどこか電気屋で偵察したかったので、運転手さん電気屋までって連れて行ってもらいました。
それが何故か近所ではなくあちこちうろついていたためにいつのまにか伊勢原市に突入しておりまして、ぶーんと通り過ぎようとしたら「ジェラート」の看板が。
美味しかった!
少し柔らかめだけど溶けかけという感じではありません。そういう作りなのでしょう。シングルコーン300円、ダブルで350円。ん? この値段設定、どこかで見たような……母校その1近くの喫茶店のアイスクリームでした。最近はこういうのが流行なのでしょうか。50円しか違わないならダブルだよねーと高いほうを買わせる作戦だろうと思います。300円はたぶん割高設定で、350円がまあまあな設定、と推測させて高いほうを選ばせる。お財布的には、もし、必要無ければ50円出費が多ければそれは無駄ということになるので、買い物としては失敗でしょう。でも、私はアイス好きでいくら食べても良いのでダブルに後悔はない。最近はテレビで映画を観ている間に2リットルを完食、なんて無茶はしなくなりましたが、高校生くらいまでは2リットルのファミリーパックは1回食べきりサイズだと真剣に思ってました。
いや、私のアイス遍歴はどうでも良い。最近はハーゲンダッツ至上主義でもなくなったその理由とか、いろいろあるのですが、とりあえず今回のこのジェラートですよ。
まずは種類が面白い。ミルク以外は季節商品がメインのようです。そのミルクにしても、石田ミルクを基本にしてバリエーションがあります。説明が難しいのでここらへんは「めぐりのメニュー」をご覧下さい。
周囲の農家と協力しながらやっていると言うことで、トマトならトマトの生産者、抹茶ならお茶の生産者の紹介が、きっちりとされていました。壁一面に、あちこちの農家の広告と言ったら申し訳ない感じの、生産者ご本人の写真やらコメントやら、ビラみたいなものがたくさん貼ってあります。季節が変わったらまた来よう、そういう気持ちにさせる商品展開です。
その中に、例のセシウムが……っていう新聞記事と出荷制限についてのお知らせが。現在は去年のお茶を使っているが、今後は臨機応変にということです。希望に燃える若い生産者の、非常に落胆した様子がうかがえて気の毒の一言しか出ません。
個人的には、実際にそのお茶畑で放射性物質が検出されたのではなくでも、農協やら何やらの方針も合わせ慎重に対応していることとそのあたりを明確に情報開示して掲示してある姿勢には好感を持ちました。根拠もなく安全安全と主張するより、きちんと検査して自信を持って出荷したいと言う考えには同意します。
話が逸れました。とにかく、アイスは美味しいです。すんなり溶けて柔らかいけれど、ベタベタした感じではありません。コーンがもう一工夫あると最高に私好みなのですが。
どうにもこうにも牧場系アイスやジェラートでは、コーンをないがしろにしているというか、アイスやジェラートには気合いが入っていてもコーンが手抜きと言うか、これでコーンが良かったらもっと良いのにと感じるところが多い。いまいち過ぎて、いっそコーンは止めてカップだけにしたらと思う店もあるくらいです。売りはもちろん、その牧場のミルクなのでどうしても後回しになるのでしょうが、やはりコーンにも気を遣ってもらわないとアイス好きとしては満足を得にくい。是非コーンも研究していただきたいものです。
ご当地ソフトクリームは、あれはとりあえずソフトクリームに定番の普通のコーンならOKです。むしろ、同じじゃないと味の比較がしにくいので、同じにしてくださいとお願いしたい。ただ、牧場系の場合は、単なるご当地ではなくあれもこれも凝っているのにコーンがそれに合っていない味だと、もったいないお化けに叱られてしまえと思ってしまうのです。ああもったいない。せっかくの素晴らしいアイスが。コーンで台無しだなんて。いや、石田牧場のコーンはそこまでではありませんでしたよ。でも、えーコーンはこれかとちょっとガッカリしたのは事実です。
ところで、私は牛を観察してくるのを忘れました。地方の牧場系アイスまたはジェラートの場合、もし牛を拝見出来る場合は牛も観てくるのですが、すっかりぽんでした。お店のすぐ近くに牛小屋あったのに。見損ねてしまった……公式サイトを観る限り、白と黒の普通の乳牛っぽいけど……牛舎の感じとか観られたら観たいのよね。近所の牛小屋と比較して、心の中で「ふーん」って思うだけだけど。飼料にどのくらいサトウキビを入れているのだろうとか、色々勝手に想像しながら牛の見学するのが好きです。
帰りには、何故か本日も持っていた保冷バッグにお持ち帰り用のカップアイスを数個購入しました。電気屋にその後寄りましたが、溶けずに無事だったようです。
結局、その後カラ梅雨で終わってしまったので、せっかく下見した除湿器は購入していません。彼は父親の影響で日立製品を好み東芝を遠ざけ、私は父親の影響でまずはNEC、そして大学の恩師の影響で次は東芝なので、最初に見るものが違います。評価とその理由も違い、議論しながら製品を見るのは楽しい。意見を一部取り入入れることはあっても、勧められたものを買うことはお互い無いだろうが。メーカーの好き嫌いとは使い勝手と慣れであり、変更は難しいのであります。